世の中で起こることは全て最高

団塊の世代のブログ挑戦
大黒屋光太夫のふるさと鈴鹿から
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絶対に正しいものは存在しない
 先日、一橋大学の移動講座に参加した。末娘の依頼で出席したものだ。久方ぶりに大学の講座なるものを拝聴した。講義の内容は「交通社会資本の整備と国際競争力」と言うテーマで、学長の杉山武彦氏が話された。講義の内容については専門の話であったので、十分に理解が出来たわけではないが、学問の世界の楽しさについては十分満喫させられた。40年もタイムスリップした気分になれて、最高のひと時を味わった。

 学問の世界は「ミネルバのふくろうである」と言う話からはじまった。社会科学の原点である。世の中の出来事を説明するときには必ず後追いの説明しかできないものなのである。この自覚があるかないかによってその研究者が本物かどうか見分けられるものだと思う。そういう意味でも一橋大学は一流なのだろう。話の内容からして、この学長は日本の国家に相当な政策の提案をしている重要な人物であるように伺えたが、そういう意味でも安心をした。

 世の中には絶対に正しいものは存在をしないと思う。自分の学説が正しいと信じることは必要だが、それを絶対に正しいと主張するところから争いが始まるのだ。我々の日常生活の中においても然りである。良い人と良い人がお互いに自分の考え方に固執するところから争いがはじまるのである。世の中自分の思うようにならなかったら、一度自分の考え方を疑ってみる必要があるのかもしれない。

 私は正しい社会よりも争いのない社会のほうが好きだ。


 
| 金田良一 | 教育 | 08:58 | comments(7) | trackbacks(0) |
五木寛之文庫鈴鹿開所式
 五木寛之文庫が鈴鹿市にある龍光寺の境内に開設された。全国で十一番目の施設だそうだ。NPO鈴鹿文化塾が会員を募って運営をする計画である。開所式には100名ほどの方々が集まっていただいた。鈴鹿在住の文芸評論家藤田充伯のスピーチがとてもおもしろかった。五木寛之さんの人となりが多少でも分かった気がした。

 私は文学と言うものにはあんまり興味をもたない部類の人間だが、彼の話を聞いてもう一度五木さんの本を読んでみたいと思った。青春の門はとても面白かったことを思い出した。

 是非、鈴鹿近辺の五木ファンの方は五木文庫に訪れてほしいものだ。
| 金田良一 | 雑感 | 08:05 | comments(0) | trackbacks(0) |
宮沢喜一氏亡くなる
 一昨日、宮沢喜一元首相が亡くなられた。1919年、東京生まれ。東大法卒。42年大蔵省に入省、池田勇人蔵相の秘書官として51年のサンフランシスコ講和会議に全権随員として出席した。53年に参院選に出馬し、初当選した。62年の池田内閣で経済企画庁長官として初入閣。67年、衆院にくら替えし、以後、通産省、外相、官房長官、蔵相など主要閣僚を歴任した。91年に第78代首相に就任。「品格ある生活大国」づくりを掲げた。93年、政治改革法案をめぐる党内対立から内閣不信任案が可決。衆院解散、総選挙に踏み切ったが、自民党は敗れ細川首相に政権を譲り渡した。このとき「55年体制」が終止符を打った。98年、小渕恵三内閣のとき、蔵相に迎えられた。2003年10月小泉首相の不出馬要請を受け入れ政界を引退した。

 政治家として将にエリート中のエリートである。さぞや素晴らしい成果をのこしたのだろうと思いきや、どうもそうではなさそうである。通産省時代の日米繊維交渉、蔵相時代のバブル経済処理、首相時代の不良債権処理などの失敗例が目立つそうである。極めつけは小渕内閣の時のばらまき財政の失敗である。不況をながびかせてしまった一因になってしまったようである。すばらしい頭脳の持ち主の考える政策は案外に外れることが多いような気がする。

 それに比べて、小泉首相の場合は正反対のような気がする。とにかく政策の立案は専門家に丸投げ、自分の信念はその専門家を信ずることだけで、確たる政策に対する展望も意見も持っていないかのように思われたが、結果は長期の不況から脱却することが出来て、夢の持てる社会に生まれ変わった。確かに格差の問題は残したが、政治家としての成果は十分に残したのではなかろうか。

 人生とはこんな展開が多いものだ。こうしたい、こうなりたいと理想を掲げるとき、頭の良い人物はあまりにも先を読みすぎる。少し鈍感な人物が指導者のほうがうまくいくことのなんと多いことか。近頃「鈍感力」と言う本がでたらしいが、そんなことでも書いてあるのだろうか。

 人生ゆるりと楽しく過ごしたいものである。こんな心境になれる自分の運命に感謝しなければならない。ありがたことだ。宮沢さん長い間お疲れ様でした。
| 金田良一 | 政治 | 16:56 | comments(0) | trackbacks(0) |
例外のないルールはない
 鈴鹿商工会議所青年部はグッドライダーキャンペーンなる事業を開催している。この事業は鈴鹿サーキットの人気イヴェント8時間耐久レースの前日にバイクで市内をパレードして交通安全を訴えるキャンペーンである。もうかれこれ十年近く続いている人気のイヴェントであるらしい。

 先日、息子からお客さんがこのイヴェントに参加したいのだが、参加出来ないので商工会議所に頼んでくれないかと相談をうけた。話をきいてみるとそのお客さんは26歳の奥様でバイクが大好きな方らしい。一度このイヴェントに参加したと思っていたのだが、チームに所属していないので参加が出来なかったらしい。最近医者からガンの告知を受けて余命幾ばくかないことが分かり、やりたかったことをやってみたいとの思いから申しこんだのである。当然規約にアテはまらないのだから参加することができなかったのだ。

 私は十五年ほど前に商工会議所青年部の会長を経験したことがある。気楽な気持ちで商工会議所青年部の事務局に電話してみた。事務局員にお願いすると、規定に叶わないので、たとえ元会長のお願いでも無理だと返事がかえってきた。当然である。事情を話してみると会長に相談をしてみたらと言うことであった。たまたま現在の会長を息子が知っていたので交渉を息子にまかせた。

 例外のないルールはない。彼女は参加を許されたらしい。私はとても嬉しかった。商工会議所青年部のフレキシブルな体質と事務局の対応に。組織はかくあらなければならないと思う。こころの通った組織の運営が今の世の中では忘れられているような気がするのだ。

 彼女は体調が悪いので、ダンナの運転でこのイヴェントに参加をするだろう。命のはかなさを感じる。それにつけても、生かされている命をありがたいと思う。
| 金田良一 | 雑感 | 07:14 | comments(0) | trackbacks(0) |
主義主張
 昨日、NHKスペシャル「新シルクロード4000キロの旅」を見た。民族のモザイクなるタイトルで祖国を捜し求める人々の苦悩を描いていた。カザフスタンとかチェチェンとか中央アジアの国々の名前は知っていたが、一体何が原因で紛争が起こり、何が起こっているのか気に留めたこともなかった。

 74年前にスターリンが民族の強制移動を行ったことなど、私は全く知らなかった。私の学生時代はソ連は共産国で素晴らしい国であると教えられていたのである。私は大学でマルクスとかレーニンは素晴らしい思想家であると教えられて、反発を覚えた一人だが、そのころソ連で何が起こっていたのかは、全く知らされていなかった。真面目に教授の考え方に賛同した者の中から、かの、淀号のっとり事件の首謀者が出てきたのだ。北朝鮮に渡った日本人妻も同じ状況の中から生まれてきたのだ。あのころ共産主義を信奉した大学の教授はもう亡くなられたのだろうか。もし生きていたとしたら、昨日のTVを見てどう思ったのだろうかと感じた。

 そして、もっと不気味に感じたのはその後に「よみがえるコサック」というタイトルで放映された内容である。ナショナリズムの復活である。帝政ロシアの親衛隊が新ロシアに立ち上がったのだ。彼らはプーチンの熱烈な支援者であるという。戦死してもロシアからは何の補償も得られないのに、命を投げ出す純粋な若者たちである。そして、学校までが、出来ているのだ。

 人間は愚かなものだと思う。自分の主義主張のためには神から与えられた大切な命さえも投げ出してしまう。自分の命だけならまだ許されるかもしれないが、人の命さえも奪ってしまう。それが戦争なのだ。

 戦争は正しい者と正しい者が行う行為である。自分だけが正しいと考える主義主張のなせるワザなのだ。主義主張は生きるために絶対に持つべきでが、それを人に強要してはいけないと思う。それを歴史が示している。

 
| 金田良一 | 政治 | 07:38 | comments(0) | trackbacks(0) |
ありがとうは魔法の言葉
 先日の借り入れの件で必要者類を揃え始めた。県税事務所での出来事である。納税証明証なるものを貰いに出向いた。「すみません、納税証明証がいただきたいのですが」と窓口で聞いた時に女性職員が「ありがとうございます。納税証明証ですね。どのような理由で使われますか。・・・・・」と応対された。

 今まで官公庁に出向いてありがとうございますと切り出されたことはあんまり経験がない。とても気持ちがよかった。理論的に言えば証明証を出してもらうのだから、「かしこまりました」とか「分かりました」と言っても別に不思議ではないのだが、「ありがとうございます」と言われた途端にこちらの気持ちがよくなるのには驚いてしまった。

 私の娘が高校三年生だが、以前に腹がたった時には「ありがとう」と言うと不思議に気持ちが落ち着くものだ。と私にもらしたことがあった。なかなか「ありがとう」とは言いにくいのだが、口癖になると自然に言えるようになるのかもしれない。「ありがとう」の言葉は自分自身にとってもそれを聞く相手にとっても気持ちのよくなる魔法の言葉である。

 仕事がすんで窓口を出てきたら、アンケートを求められた。この経験も初めてである。職員の対応はいかがでしたかと聞かれとても良かったと答えてしまった。職員はちゃんと名札をつけていましたかとか服装はどうでしたかと言う問いに関しては全く気がつかなかったのには驚いた。ありがとうのインパクトがあまりにも強すぎて職員の服装とか名札とか気にも留めなかったのだ。それほどに「ありがとう」は不思議な言葉なのだ。

 私も「ありがとう」と口に出して言うようにしようと思う。
| 金田良一 | 雑感 | 17:42 | comments(0) | trackbacks(0) |
雨降りには傘は貸さない
 一昨日銀行から突然電話が入った。お金を借りて欲しいと言うことであった。それも今月中にと言う話である。私は一応事情を話して断った。実はたらふくのコンピユーターのバージョウアアップを検討していて、商工会議所の資金を借りる計画をしていたのである。そしたらその資金の手続きだけでも良いのでさせて欲しいと言うことだったので、喜んで承諾した。

 私は基本的に銀行は信用をしていない。十年も前の話になるが苦い経験をしている。たらふくを立ち上げた当時のことである。ある事業に投資をしたのだが、その事業がうまくいかなくなったので、挽回するためにたらふくを立ち上げようとしたのである。ある事業の借金を返済すれば、たらふく建設の資金は融資しようと言う約束であった。私は先祖からの土地を売却して借金の返済に充てた。そして融資を得られるものとしてたらふくの建設を始めたのだ。そしたら、融資がうけられなかったのだ。他の銀行を駆けずり回ったがすべて同じだった。あげくの果ては本体の資金の返済までもせまられる始末であった。将に倒産の危機であった。

 結局は色々の方々の援助を得て、国民金融公庫を使って資金を手当することが出来たのである。そういう意味では国家の恩恵を一番うけているのかもしれない。

 銀行が雨降りには傘を貸さないのは当然のことだと今では良く分かる。私は当時は若かったのだと思う。あの時借りた金を返済してしまったのだから、銀行は当社から手を引くのはあたまえなのだ。借りたお金は返済せずに「借りた金を返済するために新しい事業をやるのだ」と言い張って銀行から融資を引き出すべきだったのだ。

 今となれば楽しい経験だった。銀行が融資を言ってきてくれることに感謝、感謝。
| 金田良一 | 経営 | 07:20 | comments(0) | trackbacks(0) |
海外旅行障害保険
 今日の出来事である。昨日、海外旅行障害保険に加入していただいたお客さまのことで、営業所から連絡が入った。フリーダイアルでお客様が説明を求めて何度も電話が入って困っていると言うこであった。私は早速にそのお客様を訪れた。話を聞いて笑ってしまった。話はこうである。昨日保険の締結の時にそのお客様に「海外で何かあったら海外のコールセンターがあるから、連絡してください」と話したのである。なにを思ったのか、そのお客様が電話代が掛かるかどうか確認をしたのだ。そしたらその対応に手間がかかって、たらい回しにあったらしい。正確には原則的には無料だが、場所によっては有料の場合もあるらしい。それで、お互いに行き違いでトラブッてしまったようだ。

 もし海外で事故に会った場合に電話代のことを考えるだろうか。私の息子が新婚旅行でタイに行った時、食あたりにあって大変な目にあった。その時は病院にいくのが先決で保険のことなど全く頭にもう浮かばなかったと言うことである。症状が落ち着いて病院の方から保険に入っていないのかと聞かれて初めて保険のことを思い出したそうだ。そして、一円もはらうこともなく、無事に病院を出たと言うことであった。保険に加入していて本当に良かったわけだ。

 木を見て森を見ずと言う言葉もある。全くどうでも良いことに気になることがよくあるものだ。気になるのは仕方のないことだが、それが足かせになって一番大事なことが忘れられてしまうのが怖い。お客様に息子の体験談を話して納得をしてもらった。

 我々の人生もこんな出来事が多い。どうでも良い小さいことに囚われて肝心なことが忘れられてしまうことが多い。もうひとつ恐ろしいことは幸せになる為にお金を儲けようとするのだがお金儲けに走ってしまって幸せな人生を送れない人もいるように、手段と目的をとり違えてしまうことである。

 人のことは良くわかるのだが、自分のことになるとなかなか分からないものだ。
反省、反省

 
| 金田良一 | 保険 | 21:02 | comments(0) | trackbacks(0) |
蘇りつつある東京湾
 昨日、NHKスペシャル「あなたの知らない東京湾」を見た。スズキの漁獲高が全国での三割以上を占めると言うことであった。驚きである。東京湾は死の海だと私は思っていたが、実際にはとても綺麗になってきているらしい。以前にも何かの番組で見たのだが砂を取った穴を埋める事業を行っているらしい。また、アマモを植えたり漁礁をつくたり色々の努力がなされているようである。一旦死んだ海が蘇りつつあるのだ。

 昨年我が家の近くの伊勢湾でもアサリを取った話をブログに書いたが、確かに一時の海ではなくなって来ている。私が子供のころの海岸では地引網をしていた。網を引くのを手伝って魚をもらった思い出がある。息子を海水浴に連れて行ったころには、汚くて泳げなかった思い出がある。それからニ十数年たって、昨年四歳の孫をつれいったらアサリが取れた。少しずつ昔の海にもどりつつあるようだ。

 自然の復元力はすごいものだと思う。一旦絶滅をしてしまうとこれはどうしようもないが、すこしでも生きる力が残っているならば、自然は復元してしまうのだ。アサリが海の水を浄化する実験を以前の番組で見たがとてつもない数が生息しているのだろう。東京湾の干潟で二万人もの人が潮干狩りを楽しんでもまだ大丈夫なのだ。

 人の力など自然にとっては小さな行為だが、ちょっと間違うと悪連鎖が始まり取り返しのつかない自然破壊になってしまう。ちょっと自然を大切に思えばすぐに復元を始めるのだ。自然を蘇す努力に公共事業費をもっと使ったらどうだろうか。と私は思った。具体的には三重県の公共事業は伊勢湾の砂を採取した穴を埋める事業に回してほしいと思った。

 そんな話は漁業者の間で話しにならないのだろうか。漁業者は砂の採取で補償金をもらってしまっているので、口にだせないのかも知れないが、ここは話が違うと思う。間違いは間違いで認めて、子孫に自然の豊かさを残す運動を展開してほしいと思う。

 もうすぐ夏、今年の夏は孫と前の海で泳ぐのを楽しみにしている。
| 金田良一 | 雑感 | 21:53 | comments(0) | trackbacks(0) |
第113回北槎聞略をよむ会
 昨日、第113回北槎聞略を読む会に参加した。今回は都築先生がいつも関連した一節を訳して頂いているロシア語の北槎聞略について、話が及んだ。この本はコンスタンティーノフと言うロシアの学者が北槎聞略を訳したものである。「北方海域の放浪に関する短い報告」と言う題名で出版されているものである。1978年にナウカと言う出版社で印刷されたようである。

 今から30年も前の話である。十年ほど前まで日本では大黒屋光太夫の名前は教科書にも載っていないマイナーな名前であったのに、ロシアの学者はこれほど膨大な資料をよくも翻訳したものだと、驚嘆してしまう。学者の知的好奇心に脱帽である。

 よく考えてみると、北槎聞略と言う本は200年前のロシアの歴史や風俗を克明に記述された一級品の資料なのだ。それも一外国人の見た新鮮で克明で、正確な記述なのである。そして、それに当時の外国の一級の学者(桂川甫周)の考察さえも記述されている。ロシアの歴史を扱う学者にとっては大変に貴重なものなのである。

 一介の船頭が調べてきた事物が200年の後に貴重な資料として出版されるということは考えられない程の快挙である。この貴重な本が何人の人に読まれるかは別として、出版されたことに驚きを覚えるのである。

 私は郷土の先輩にこんなすばらしい人物がいたこと感謝せざるをえない。
| 金田良一 | 大黒屋光太夫 | 07:08 | comments(0) | trackbacks(0) |
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